~公園にて~

心地いい風が吹いてる。丁度いい日差しと気温、ぽかぽかと温かいが、汗をかくほど暑くはない
いい気候だ、絶好の散歩日和だな

まちるだ
・自己分析は気が狂いそうになる時もあるが、割と好き。
・好きなものは明け方

おい!俺じゃないか。奇遇だな、お前も散歩か?

まちるだ
・自己分析は気が狂いそうになる時もあるが、割と好き。
・好きなものは夕暮れ

おおー!そうそう せっかくだし一緒に行くか?

これだけ気持ちのいい日だと人の往来も多いな

そうだな。夜の静けさも好きだけど、この騒がしい活気ある雰囲気も好きだ

でもどこか音が遠くなるような感覚を感じることがあるな

わかる、にぎわってると聞こえる音を意味のある言葉として処理できず、ざわざわという環境音として認識することがある そんな時ノイズキャンセリング的に音の認知が切れる瞬間がある

これはわりと特殊技能な気もする。いつからかな、感覚を切る感覚を意識したのは?

一人で何かを考える時間を認識したと同時だろうか。それなら一人が好きだったのも関係しているのかもしれない

音が遠くなって静かになるとき俺は一人になるんだ。だからそう思うのかな

そういう意味では昼も夜も似たようなものかな。散歩に求めるものは昼でも夜でもあんまり変わらないのかも

さすがに少し違う所はある、昼はごはん食べたりとかやることが違ったりするから
でも一番根源の部分で共通点があるかもというのは大事な視点か

なんでこんな騒がしいのに一人なんだろうな

それは街行く人と一切関わりが存在しないからだろう。俺は会話みたいな関わりをもって認識して、そこで見えたものによって人間だと思うからね

それもそうか。すれ違うだけじゃ何もわからない

いや、でも夜に真っ暗な中明かりを見つけて安心するみたいな気持ちを忘れたわけじゃないな。確かに個人ではなく漠然とだが人を感じる瞬間はある。思ったより一人というわけでもないだろう

あるね。俺はやっぱり都会育ちだなと思う部分だ。駅とかにアクセスできると安心する。人やモノの集まる場所。飯屋とかトイレとか地図とかにアクセスいやすいし、疲れたら電車で帰れる

めちゃめちゃに歩き疲れて電車にのって、文明の利器ってスゲーって思った経験は一回や二回ではないな。これって人の力だしいろんな意味で繋がりを感じてるよ。

思索するときって、たぶん自ら一人になってるんだな

そうだね。目的意識があるときってあんまり散歩だと思って行ってないかも。喫茶店とかラーメン屋とかゲーセンとか行くときって目的地のこと考えてるよな。街とのつながりを作ってる。

俺一人の遠征だったとして、現存在ではないけど存在とは”会話”してるといってもいい

目的地回収した帰り際時間に余裕があったら、つまりは会話を終えたら帰り道を遊んだりするな

会話を終えて、宿題をかみしめてるとき一人になるか

まあいつ感じたことを反芻するかは場合によりけりだけど、そうかもな

そうね。ライブとかイベントの後参加したオタクたちの流れに乗って帰ってるとき、一人噛みしめながらも皆がいることを同時に感じてたりする

宿題なんて次の日でもええねん

結局家で宿題やりがちだけど、自分の部屋に一人でいるってことが間取りや部屋の汚さの都合で少なかったから環境音シャット能力を意識したのかもなあ

まあそうかも

ほかの人の話も、気になるなあ

自分の部屋にずっといた人とか家族と宿題してた人とかいるだろうしな。うわー実験、検証の話するか?

この手の思考実験じゃ自分のことしかわからないからなあ。本来的実験のめんどくさい部分な

そういうめんどくさい会話だけがちゃんと会話足りえて本当に面白いんだけども

人生って意外なほどそういう機会も少ないし時間も短い

そのための宿題ではある

比率があってないよ~どうしたら会話を増やせるんだろうか

な。まあちゃんと受け止められるように自分の受容体に向き合うのと、あとはアクティブに生きるとかか?わかんね

ってもうこんな暗くなってたのか

まっこと残念だが絶対にもう帰ったほうがいいね

まあじゃあこれは宿題か

ああ、約束ね

うん、約束


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