どうも。まちるだです。
まちるだ
・自己分析は気が狂いそうになる時もあるが、割と好き。
・好きな花は水仙。
おい!!!!!!!!!!
え?
俺がまちるだだ!
まちるだ
・自己分析は気が狂いそうになる時もあるが、割と好き。
・好きな球根植物は水仙。
いや誰?
俺はお前だ。
お前は俺だ。
おい俺は俺が何故、蛾がこんなにも無理なんだと思う?
俺史の中でトップクラスの謎だ。
友達にもよくびっくりされるものな、蛾が飛んできた時の反応で。
ああ。こないだは玄関近くに蛾がいて家に入れず親に救助を頼んだ。殺虫剤で蛾を鏖殺してもらってようやく入れたからな。
根源的な恐怖だ。他ではあまり見ないほどの。虐待されてる子供が大人に恐怖心を持つことや、毒を持つ蜂や蛇を恐れるのとはわけが違う。「1984年」に出てきた、恐怖の対象としてのネズミはかなり近かった印象がある。
そうだな。あの話では総合的な「処置」であの結末になってはいるが、いつか俺も蛾に俺を捻じ曲げられそうな雰囲気があるな。
分析のとっかかりがないのはやはり体験が思い浮かばないからだな。俺はいつから蛾が苦手なんだ?
俺なんだからわからないのをわかっているだろう?思い出せる体験として、中学生の時に部活でジャージに張り付いた蛾に恐怖した記憶はある。
そういえば小学生の頃、図鑑を好きでよく見ていたよな。蛾のページは避けていた気がする。ゴキブリがよくカマキリの隣にいたのも嫌ではあったが、ゴキブリは小学校で足をつかみ窓から投げ捨てたり、トイレで親が倒したのを観察した記憶がある。やはり蛾が特別嫌いだったとみるべきじゃないか?
そうだな。
おそらく小さいころから恐怖の対象は蛾だったんだ。話しているうちに小学校の生物小屋みたいなのの裏で蛾に恐怖した記憶がよみがえってきた。あれは校内を覚えてない頃だ。小1とかだ。
思い出せる限りではそれが最古の恐怖体験だろう。それ以前は自我がさらに薄く、蛾の存在をしっかり認識してなかったと思う。つまりおそらく出会った時から嫌いだった。
なぜこんなに嫌いなんだ。
難しい問題だよな。
これは仮説の話にはなってしまうんだが、「好きの反対は無関心」という言葉があるだろう。俺は蛾が、興味がある対象であるという仮説は面白いと思った。
好きの反対は無関心という言葉自体があまり好きではないんだが。
それは重々承知しているさ。好きと嫌いが近いとは考えていないよ。ただ俺にとって未知が詰まってる好奇心そそられる存在なんじゃないかって話だ。
言いたいことはわかる。がどうしても近づけたくない感情とかみ合わない気がするな。
ああ、穴は多い。確かにどうしようもなく離れたい。ただ他の嫌悪感を感じる存在の「兄」で考えたとき、家族は憧れの対象だろう?「兄」からは離れたい、しかし「兄」に興味が尽かない欲しいと思うのは両立する。理屈抜きにしても恐怖の対象である死は近づけたくはないが興味は尽きない。
「兄」は先天的嫌悪感ではない。トラウマになる経験が明確だ。死に焦がれるのは生に希望を持ち、絶望してるからじゃないか?そういう対の概念が蛾にあるだろうか?
そこが穴だね。
確かに蛾は特徴的な生態はある気がする。擬態などにみられる生物の模様の似通りから「生物がとる模様のパターンはある程度決まっている」という仮説はとても心躍った。そのとき、生物の模様で蛾を思い出した。そういう興味がつながっているのは否定できないな。
昆虫はショウジョウバエから、代替わりが早く進化が発生しやすいというイメージがあるからそこの興味ともつながるね。他にも唯一自然回帰能力を失ったとされる蚕も存在として面白いと思う。
ただそんな興味をあの時の俺は感じていただろうか?
そうだな。やはり根源的、生理的、本能的であることがネックだ。嫌悪の異常さの説明も難しい。
何故なんだ?わからない。何故気持ち悪いんだ。こんなにも。こんなにも!!!
気持ち悪いんだ!あの鱗粉も、模様も、触覚の形も、壁へへばり居ついている様子も。 あのおぞましい飛び方で飛んできて、おれの体に張り付く可能性があるだけでおれは気が狂いそうになる。 そんな不安から解放されたらどんなに素晴らしい気持ちだろう! おれはその本能的恐怖に脳を犯され主導権を体に奪われる。俺は反射で飛びのく。俺は硬直する。 蛾はまっすぐおれを見つめている。感情を感じない無機質な眼だ。 何故おれは距離を置こうとしているのにそんな眼でみるのだ。なんだお前は。 突然蛾ははばたく。 やめろ!! おれは必死に叫ぶがおれの叫びは静まり返った闇に吸収されてしまう。 ふさふさとした体毛が大きくなる。眼が近づいてくる。 人を見ぬ無数の眼が。
やめろ……。気持ち悪い……。無理だ… yamer
殺された。俺が一人。
この選択圧を耐え忍ぶ俺はこうやって蛾への敵愾心を増したのだろうか。
新しい俺と議論しよう。
コメント