読書とは
我々は読書をする人間だ
おまえが読書をしているところを見たことがない
それもそのはず。
どちらかと言えば一人でいるときに読書をしたい人間であり、タスクの中で優先順位が低いからです。
他にもそんな人がいるか調べてみたところ、
静かなところで読みたい、
他にやることがなければどこでも読む、
読書以外にやることがないから本を読む。
ほんをよみたくない
だとか、種々の意見を頂きました。ありがとう。
弟に関しては本当に読んでいるところを見たことがない上、教科書以外の書籍を所持しておらず、読書が遠い存在であることが伺えます。
以上のように読書の在り方は人それぞれであることが理解できました。
つまり本を読むに至るまででこんなに違うように、本を入手する手段も経緯も異なることは目に見えています。
むしろ本を手に入れる事すらない人も居ます。
けれど購入の必要がないことを理解できないわけではない。
異なる趣味を持つ者同士が分かり合えないのは、趣味の面白みを理解できないことについてであり、間を隔てる壁があるということは理解できると考えます。
十人十色っていい言葉ですよね。それらを如実に表しています。
何のために本を読むのか
面白いから本を読む
すなお
私が本を読む理由は正しく『おもしろい』からである。
これから話すのは私自身の話であるため全体の意見ではないことを念頭に置いて欲しい。
面白くない本は読みたくない。
従って、面白くなさそうな表紙の本を買うことはないし、入りの文に引き込まれなければ途中でほっぽってしまったことがままある。
興味が引かれなければ読書に至らない。
興味というのは『何のために』というところにつながる。
知恵を蓄えたい、感情の起伏を味わいたい、怖いものを知りたい、問題を解決したい。
それは今ある自分から多少なりとも変わることになります。
人が得ることになる『変化』というのは理由と直接つながっていないが、各々の理由による行動は必ず『変化』という結果を得ることになります。
読書をするべきとかなんだかんだ言っている人がいるのは知っていると思います。
読書があくまで手段であることを加味すると、決して押し付けるのは良くないと判断できます。
簡単な話ですね。
弟は読書をしてこなかったけれど読書が好きな私よりも賢いし、好きなように生きている
本を読むことを必要としないから弟は結果的に『ノー読書』を貫くことになりました。
私は面白いから本を読みます。
結果的に言うと……
読書をしなくても、生きていける
私自身、本をあまり読みません。
読書は好きですけれど。
最後に読んだ本は『カクテルの図鑑ミニ —— 株式会社マイナビ出版、斎藤都斗武/佐藤淳 著』で、3週間ほど前に読んだことは覚えています。
バーへ行ったときに恥をかかないようにと勉強のために購入しました。
役に立ったと思いますか?
身に着けるためには経験が必要だと思い知りました。
むしろ恥をかくことがあるのだなぁとしみじみと感じます。
それに、ある本を読んだ人が要約した文章のように感想を述べているレビューだってあるように、正しい楽しみ方ではないと感じる人がいると思いますが、それを摂取することでおいしいところだけ抽出することができます。
文章にこだわる必要もありません。
文字を読むことでしか摂取できない『オモシロ』もある
でも読書好きなんだろ?
そのとおり
なんだか読書をさんざんに言っているように感じるかもしれないですけれど、読書をした結果恥をかくことが嫌というわけではございません。
むしろ楽しいのでOKです。
なので弟がどのようにそういう『オモシロ』を味わっているのか不思議です。
ノー読書人間
幸せならOKです
けっきょくそれか
『Not 読書しない人』という意味は含まれていません。
ノー読書人間とは私の弟への疑問を表した言葉です。
小学生、中学生とその間に「本を読め」と何度言われても、自分を貫いた弟へここに敬意を表します。
くどくどと文章を連ねましたが、皆さんの周りにもこういう謎がきっとあるのではないでしょうか。
終わりに
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