金木犀は通り過ぎてから気付くところが好き。
まちるだ
・最近CDを突然12枚買った
・好きな気体の集め方は水上置換法
ちょっと前にnayutaさんという方のライブがあり、オンラインなら間に合うということでチケットを購入しました。
多分僕は感動したんだと思うんです。
気づいたら手元に大量のCDが。
まあ半分くらいはマジで全然関係ないやつなんですけど
いつぞや僕は何かとは言いませんがハードルを粉々に破壊しようとしました。
でも次のアクションを決めてなかったんです。
なあなんかないか?
構成うまいからインスタントフィクションとか書いてほしい
ほうほう
まず何かを構成できた記憶がないので何か勘違いをしている気がしますが、とにかく友人から創作をしろとのお達しがありました。お前も物語を紡げ。
私は妄想から生じて、妄想の中に生き、妄想によって生かされた存在。妄想を少し垂れ流すくらいなら何とかなるはずです。
ということで何かを書きます。僕から愛をこめて———
夜の十一時半。
このくらいの時間がちょうどいい。音が遠くなるから。
目的地は安寧。
毎日この時間になると歩き始める。
今歩いている道は比較的おおきめな大通りだ。
大通りは不思議な情景だったり、未知の空間に出会ったりすることは少ないけれど、大通りにしかない良さがある。
まず迷わないことだ。目立つ印になるから寄り道しても戻ってこれるし、同じ方向に進める。これは結構ノンストレスなのだ。そしてお店などの建物をはじめとした持前の情報量と合わせて楽しむことにリソースを使えるのだ。セーブポイントがあるのもいい。
面白さで見てもかなりいい。整備された道というのは楽しむことを阻害しない。
同じ道が長く続くというのも悪くはない。いいと思った部分は長く続くし、微細な変化を比べやすい。
思考にも向く。結局俺の主体は俺だからこれも重要だ。考えることや思いを馳せることが間に合わないなんてことにはならない。思いを見失うことが純粋に少ない。
かといってずっと道を強要されることはない。たやすく曲がれる。少し逸れたいときに道を外れる必要はない。
出来るのだ、気になった道に入っていくことが。
だからずっと歩いていられる。だからこそ大通りなのだ。路地が好きでも大通りは歩く。それは間違っていないのだ。そして小道に入ることを大通りは馬鹿にしない。それでいい。
ふと横を見ると、繋がりがあった。
こっちに入れ入れと誘う感動が。多分この方向の中では大きい道だけど。
頭の中に言葉はなかった。
ただそちらに歩き始めていた。
4時半。
空は明るみ始めていた。
僕は涅槃から遠い場所に立っていた。
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