575で遊ぶ。遊んでみてもいいんじゃないか?

日記
日記

はえ~

まちるだ

・最近日記をつけ始めた
・好きなキーはZキー

経緯

日記をつけ始めました

日記といっても思考を整理して文面にする時間をとったというのが正しくて
何かを考えるのとか表現を見たり考えたりするのが好きで、今日あったことをネタに遊んでるという感じなんです

何が言いたいかっていうと、普段溜まる何かを生みだす欲を吐き出す場所が増えちゃったってことなんです。だから正直あんま書くことがない

そしてぼ~っと書いてないな~って思ってふと横を見たら、中に何もない水槽があって。

575で遊ぼう大会開催です!!!

575で遊ぼう大会

ルール

・1日一個、575で何かを表現する
・できれば遊ぶ
・季語とかは学ぶときりがないので無視する

以上

一週間ぐらいやるか。7個でバトルだな。

一日目

水槽に
 コードと埃
  がらんどう

使わなくなった水槽の中には同じく使わなくなったヒーターなどの周辺機器のコードが散乱している。しかも埃までかぶっている。そんな情景がそこに「ある」ことでがらんどうを感じるなあ。という句

思いつきにしては言いたいこと言えてる気がする。伝わってなくても俺が言えてればいいんだ。
遊びなんだから。

水槽の中にものがあることで、昔はそこにあったアクアリウムの存在の”ない”を感じる
この事象なんだか俳句っぽくないですが?そうでもない?ああそう

どっちかっていうとない事であることを感じさせるほうかもしれない。チューニングあってないかもしれない。

三日目

おい!!!

二日目はどうした???

忘れました

何故なんだ
 何故忘れたの?
  馬鹿が

字余りはおおとなったことがあるので字足らずをやりました。

語感もあるけど、ぴしゃって終われてない?これは可能性があるなと思いました。
効果的な場面は思いつかないけれども……

もうルールはないぞ。

鼻歌の
 言葉を聞けば
  独りなの

自分が孤独な性分なら、能動的近づいていって言葉を聞こうとするほど孤独を感じるものなんだろう。一人ぼっちのまま鼻歌でも歌っていた方がよっぽど社会的なんじゃないか。という句

素人意味わからないまま切れ字使いがちと思ったから”なの”にしてみました。どう?

個人的には575には切れ字の方が合う気がする。そういうものをずっと見てきたからな感じもするけど

それでも今回は「独りかな」の方が音としても正しい気がするこっちが正しい形なんじゃない?正しいってなんだ

みてみれば普遍
 偽物の神様

よく見て検討してみれば普遍的なものだった。これを神と呼ぶのは違和感があるなあ。本物って何なのだろうか。という句

12、5とか5、12みたいな三節にしない編成の句あるじゃないですか。
あれよくわかんないなと思ったので変則的なやつを一回やってみようと思ってやりました。

やってみたはいいもののこれはどこで音を区切るのが正解なんだ?一応前5後ろ5を意識して声に出すといいテンポで読める。

いやーなんだろ。音数長い単語を入れたいとき以外があんまり思い浮かばねぇ。
絶対ちゃんとしたものを見た方がいいな一回。

四日目

くるまれば
 人おもわせる
  布団かな

くるまっていたら布団が段々自分の体温くらいの温みになってきて、なんだか人みたいだなぁという句

正直遊びの引き出しが少なくて表現方法が思いつかないよ。だから切れ字に戻ってきたよ。

強調とはいうけど17音まで減らしたら全部強調したい語だろ感がある。向き合い方がそもそも間違っている可能性がある。
本当に伝えたい核が三音とかの時に575って使うのかもしれない。皆三音で伝えたいことは575にしようぜ。

五日目

恋想い
 時間がたてば
  愛なれば

どこか信じきれないような、一時的な病の熱に支えられているように感じる恋でも、時間を経て想い重なれば確固たる愛になるのだろうという句

やりたいことあんま無くなってきたよ。有り体に言えば飽きてきた。読む方が面白いんじゃないかな。
まあ575自体が特徴的な表現方法だから、575なだけで表現としては遊びがあるとは思うが

575って「愛なれば」みたいな形を使いやすいというか、どうやったら形が整うかなって考えるからその分だけ閃きチャンスも多いので面白い。短いフレーズに意味を込める遊びがしたいときはかなり向いてると思う。まあもともとがそういう遊びなのかな。

六日目

星明かり
 視線戻せば
  人遠し

星が一層明るく輝いていて、明るいなと思う空を見上げている
でもそんなときに視線を戻し周りを見渡せば、人が遠くて随分としんとしているという句

人が少ないって事、言葉にするとマイナスイメージが強く出る気がするけど、それがいい時もあるよね。そんなとき、そう思った受け取り手の感情を載せられるような言葉って美しいなと思う。

上のも、星が見えるとき人は皆どこか行ってしまってさびしいとも、星明かりを独り占めしているような皆もったいないなと思うような愉快な気持ちとも、ただ「そうなんだ星が見たいときは人がいない場所に行こうかな」という気づきとも取れるんじゃないか?
そういうのを少し目指しています。

強い自我が乗ってるのはそれはそれで面白いけどね

遊び終えて

さて、最初何がしたかったんだっけ。バトル?バトルってなんだよ。

何かを表現してみようかなと思った時、自分の好きなことだけしてるから基本的に誰にも伝わらないカタチとして出力されるわけだけど、結構面白かったな自分自身は。まあ遊んでる本人だしな。

ラジオで聞いた「皆言葉をもっと大事にして」という言葉が心に残ってる。僕らは言葉に真摯でいるか?

脳みそ空っぽにする会話の尊さはあるけど、それと同じくらい言葉を尽くすことが大切な場面ってものがあると思うんです。そんなときのためにちゃんと言葉に向かい合うべきだと僕は思うわけです。

表現ってのはそれにかなり大きくかかわっていることなんじゃないでしょうか。表現について考えることはそのまま人と真摯に向き合うことなのではないでしょうか。その割には言葉は随分と軽く扱われている印象があります。皆もっと渾身の一節をぶつけてきてくれ。

まあいろいろ言っても、今回僕は好き勝手に遊んでただけなんですけどね

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