Canchan
まじで、いそがしかった
草
それは、忙しくない人間の言い訳です。
本当に忙しい人間は記事を書くよりも大切なことが沢山あるはずだ
Canchan
たしかにそうだが――――
わたしは、締切に追われている。
今もなお、締切に追われている……。
記事も同様だ。
締め切りすぎた。
しかし義務を果たさねば、不義理、カス、アホ人間というもの……。
バカよりもアホ派……。とっさの悪口がバカよりアホの人間です。
Canchan
まあ
それは、それとして
モノクロ写真って……いいよなぁ。
言ってしまえば、濃淡のみで描いた作品。
明るい面と、色の薄い面が同じ色で映し出されるこれは果たして現代に必要なものなのだろうか?
答えはイエス。
人間は常に錯覚を起こしている。
色を抜いたモノクロ写真は、鮮やかな赤や青といった色そのものに備わる錯覚を排除している。
従って見た側が経験則として想像できるしっくりくるものを、ダイレクトに伝えることができるのだ。
例えば、バス停にて。
街路樹に放棄された瓶。
年季の入ったバイク。
これらすべて、わたしはモノクロ写真のほうが映えると考える。
もちろん山や川であればむしろ色の鮮やかさを楽しむべく訪れる場所であるから、カラー写真のほうが如実に撮影時の感情を乗せることができる。
しかし私の主戦場は、深夜の町中。
絶好のモノクロ戦場だ。
シャッター速度の面から見ても、モノクロ写真はカラー写真に勝る。
純粋なボケも楽しむことができ、映るのはカラーの抜けた被写体のみ。
今後もこだわり抜いたモノクロ写真を撮影したいと考える。
これは時代の逆行でも、懐古でもない。
それではごきげんよう。
CanChanでした。
コメント