イロの憧憬

短文小説
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今日もまたいつもと変わらない星空が輝いている。僕もまた同じように席に座り仕事を始める。

太陽系まで届きうる隕石や許容値を超えた放射線などの観測範囲はとんでもなく広くなった。多少観測ができない日が続いても問題はないが、昔の病気の早期発見早期治療が大事だったように早く異変を感知できるほど高度な選択が取れる。だからいつまでも大事な仕事だ。

「おい、イロ。なんかぼーっとしてないか。暇ならこっち手伝ってくれ」

「ああ、ちょっと子供の頃を思い出してた。今行く」

こないだの時間旅行者の顔が思い浮かぶ。事故に巻き込まれたような不思議な体験で、でも悪い気はしなかった。まだ僕が子供で、将来を迷ってた頃に星を見せてくれた人のことを思い出すから。


僕がまだ九才だったころ。

学生が後一年の十歳で終わり、二十歳までに身の振り方を決めるモラトリアムが始まる。十歳になったと同時に仕事に就くやつもいるし、二十までだらだら過ごしそのままぼんやりと学生に戻るやつもいる。どんな選択も許されるこの社会で僕はまだ自分の将来を決めかねていた。

親は、僕がまだモラトリアムに入る前のこの時期から漠然と悩んでいたことを察して気にかけてくれていた。でもこれは僕が決めることだったから僕がうじうじしている間は解決しなかった。だから親は僕の判断材料を増やすためにいろいろなものを見せてくれた。僕が行った時間旅行もその一環だった。

時間旅行は規約上大したものを持っていくことはできない。だから大した準備もできない。その日も前日に急に旅行を言い渡されて、よくわからないまま寝て起きたら時間遡行をする時間になっていた。

僕は公園のベンチに座っていた。周りを見渡すと誰もいない。
時間旅行の飛ぶ先を人のいない公園にすることはよくあることだと聞いていた。そのよく知らない住宅街を観光してから当時の交通機関を使って観光地に向かうというツアーが流行っていたそうだ。でも親までいないのはどういうことなんだろうか?

とりあえず現在地や現在時刻を調べる。西暦2000年日本国の東京という町だと聞いていた。が今は2015年で場所も少しずれているように思える。誤差はあると聞いていたけど。不安が募る。

今持っているのはこの時代に持ち込めるモデルのデバイス(スマホというらしい)とこの時代の貨幣少し。この状態で歩き回ってもいいものだろうか。一人で放りだされるならもう少し調べる時間が欲しかったものだ。それでも結局散歩することにした。
不安はあっても広がる知らない世界に好奇心が抑えられなかったから。

この街は随分と騒々しかった。家がよくわからない配置で並んでいたり、明らかに非効率な場所にお店が立っていたりして。
公園を名乗る一畳ほどの雑草の生えるスペースを見つけたときには思考がフリーズした。何故そんなんことをするんだろう?いやそもそもこれは何なのだろうか。この時代の現代アートというものなのだろうか。
勉強した情報では地球資源しか利用できず、僕の時代よりも有限であまり余裕がなかったと思っていたんだけど。実のところ資源は有り余っていて、ただ利用が拙なかったんだと思った。
街をただ歩くのは騒々しいから飽きなくて、それでもなぜか街は穏やかで、見ていて自分の身に降りかかった事故のことなど忘れてしまったかのように楽しい気持ちにさせられるのだった。
あてもなく歩いている。何もかもが新鮮だった。
何もかもが新鮮すぎてどこに向かうか決めかねていた。こういう所は未来と一緒なんだ。何もかもがある状態と何もない状態はふるまいとしてはひどく似ている。

十字路でもう棒でも倒してみようかと考えていると、塀の上で猫が眠っていた。近づく。
この時代も猫はかわいいな。
手を伸ばしかけてやめた。この時代の野良猫は触ってもいいんだっけ。確か野鳥と鼠類は触ってはいけなかった気がする。
迷っているうちに猫は目を覚まし、こちらを一瞥してから優雅に歩いて行ってしまった。なんだか珍しい体験をした気がする。
乱雑だけど文明的な街並みだが、やはりここは原始的な生活をする時代なんだ。世界がこんなにも身近なんだ。
猫についていこう。計画はもうとんだ。ここでは原始的にふるまうのがきっと正解だ。有と無に差があるとしたら、それはきっと観測者だろう。

走って追いつくと、猫はこちらをもう一度見つめたあと僕と同じくらいの歩調で歩き始めた。
驚いた。もうこちらを認識して気を使えるのだろうか。いやそう思うことにしよう。この小さな案内人はきっと素敵な場所に連れて行ってくれるだろう。
猫についていくと僕なんかよりよっぽど人とコミュニケーションをとっていることが分かった。
街を練り歩き人に撫でられたり餌をもらったり。時に一方的に眺めていることもあった。そんなときは大体、視線の先で人がこの時代特有の行動をとっていたりして面白かった。それと人が入れない道は通らなかった。コース選びは本当に案内人のようで、自分の評価はあながち本当に間違っていなかったんじゃないかと思い始めた。街バイオームでは猫はこんな風に進化するんだろうか。

楽しくて気が付くと日が暮れていた。猫は今日、初めてこちらに寄ってきた。昼間どこかで見たようになでてやると満足したかのようにどこかへ行ってしまった。途端に日が暮れてきたことが怖くなってしまった。

公園のベンチに座る。気づけば夜で気付けば本当に知らない場所にいる。
ここでは僕の第二の脳とも呼べるデバイスも使えない。僕は半身不随の状態で知らない場所の夜に放り込まれた。そしてここは原始的な生活を送る場所。なんていうんだっけ。弱肉強食か。いま僕より強い存在が襲い掛かってきたらなすすべもなく死ぬんだろうか。
それは随分と恐ろしい妄想で、しかし妙な現実感をもって頭の片隅にこびりついた。ここは、荒野。

「君、どうしたんだい?」

突然声をかけられ驚く。ここは。そんな。

振り返ると、思っていたよりも心配そうな表情の男が立っていた。
男は昴と名乗る。親の連絡先や住所を聞かれそれをいなしていたら、こちらがしっかりしていることが伝わったのか心配そうな表情は徐々に落ち着いていった。

「暇ならプラネタリウムを見ていかないかい?悲しいことにいつも空席はあるんだ。おごりだぞ」

少し迷ったけどついていくことにした。プラネタリウムにも興味があったし、僕はあの表情をする人にならついていっても大丈夫だと思った。

建物の中は少し暗くて、天井が広かった。高さや部屋の広さもあるだろうが、上を広く見渡せるようにデザインされた天井のスクリーンは広いという形容がふさわしく、野外にいるかのようで面白かった。

「さあ。座って」

席に着き、始まる前の時間を味わう。
レトロ系の映画館みたいだ。不自由が好きなタイプが好む、始まる前の時間。僕はあまり好きに離れなかったけどこの場ではこのゆったりした時間が粋だなと思った。
暗くて、適温で、座り心地のいい席に沈み込んで。確かに悪くないかもしれない。

残ってたいくつかの照明が落ち、部屋が真っ暗になる。非常灯だけが残る。ああ始まるんだ。意外とタイムマシンにもこんな演出があったらよかったのかもしれない。

始まる。
スクリーンに満点の星空が映し出される。ゆっくりと端から端まで眺めていく。

ゆっくり、ゆっくり、一つずつ。

プラネタリウムも解説も過去の知識といった趣で、正直に言えばあまりにも安っぽかったし、間違いも多分に含んでいた。内容は知っていることが主で、観測や実験には不自由が残っていて、知識の継承にも問題があると思う。
それでも、そこには果てしない空への夢だったり努力だったりが痛い程乗っていた。ここまでの人間というもののすべてだった。その星空はこの時代の人間そのものだった。

気づけば解説は終わっていた。他のお客さんが楽しそうに出ていく中、僕は暗くなった天井を見つめて呆然としていた。僕は今、音も時間も思考もすべて置き去りにして圧倒されていたのか。これに。

「様子を見るに大成功だったかな、プラネタリウムは。今日は気象条件がよさそうだから本物も見に行くかい?」

僕はぼんやりとうなずく。

外はすっかり夜になっていて暗く少し肌寒くなっている。連れられてきたのは少し高くて木々の多い、山のようになっている公園だ。この街では星が見れるんだろうか。少し離れたとはいえ、気象コントロールもせずに綺麗な星空が見れる程、街明かりがないわけではないと思っていたんだけれど。

「さあ、つくぞ」

なんだか怖かった。何も困らないはずなのに、ここで見上げたのが拍子抜けの空ならさっきの感動もなくなってしまいそうで。

意を決して上を見上げる。

空にはプラネタリウムに似た、うまく言葉に出来ない圧倒的な星空が広がっていた。僕はその空が、この時代が好きになれるだろう。


ただ時間を忘れていたら、親が走ったきた。母親は僕を抱き締め、父親は昴に感謝を伝えていた。
僕はというともう少し星空を見ていたいと思っていた。僕の我儘に皆苦笑いしていた。皆で空を眺めた。
現代に帰ってきて僕は両親に告げる。なりたいものが見つかったと。

その後すぐに将来の進路を決めた。僕は今、星操技師になっている。
仕事を終えて観測所を出る。大人になった今でも、夜になったら空を見上げる。
言葉を失う。綺麗で。変わらない空。変わらない輝きがそこに在って。

朝、一日の始まり。今では朝でも星空が見える。
今日もまた、イロは変わらず元気に生きる。

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